昨日の夢日記。何日間かを振り返る その2。

2008年07月29日

何日間かを振り返る その1。

17日の話。

ちょっと、いやかなり重い話かもしれません。



1年前のこの日から4日間のことは今でもすべてはっきりと思い出せます。


父が朝から具合が悪く、トイレでうずくまってた姿。
タクシーに乗り込む際に振り返って私を見たその目。

それでも大事には至らないだろうと思いながら店番をしていた私に、「救急車で運ばれて病院にいる」と母からきた電話。
最初の電話は冷静だったのに、2時間後の電話でかなり取り乱していた母の声。
病院にタクシーで向かった際の街の喧騒。
生まれて初めて集中治療室に入ったときの衝撃。

病院に着く前既に父は意識がなかったので、ぼんやりと覚悟はしなくてはいけなかったのですが、何かあっても店はギリギリまで開けていないといけない。この状態も何日続くかわからない。
面会時間は母と交代で、店と根津の病院を何度も往復しました。
親戚がご飯を作ってくれたりしたけれど、4日間ほとんど食事が喉を通らず、それでも何か食べないと身体がもたないと思い、病院の売店でおにぎりを買って、暗い待合室で無理やり押し込んだりもしました。あのおにぎりのパッケージも未だ目に焼きついています。
隣のベッドにいた方が次の日いなくなっていて、普通病棟に戻れたのか、戻れなかったのか人事ながら心配したり。

看護士さんがひげ剃りと歯磨きをしてくれることになったので次の日病院に持ってきてくださいといわれ、電動髭剃り機を買いに電器屋へ行ったけど、男性用の髭剃りなんて買ったことがなかったので、どれがいいのか全くわからず小一時間右往左往してしまったこと。結局1度も使われないままでしたが。


そして、とにかく母を支えなければいけない、駆けつけた年老いた親戚の世話をしなくてはいけない、お見舞いにきてくれる親戚の対応をしなくてはいけない、しっかりしなくちゃいけないと、しばらく人のことばかり考えてたある日。1人で病院から帰る途中のバスの中で、急に「ああ、今私は1人だ」とぷつっと何かが切れて、涙が止まらなくなったことがありました。考えたらあの時が1番つらかったかもしれません。
そんな中、友人からの優しい励ましが本当に支えになりました。
私は大事なことほど人に話さないという悪い癖があるため、本当に限られた友人にしか打ち明けていなかったのですが、私「だけ」を心配してくれる人がいることが、なんと心強かったことか。病院の待合室で、1人残った店内で、友人からのさりげないメールを何度も読み返しては勇気付けられていました。


最後の日、顔が真っ赤に膨れ上がり、脈もおぼろげな父を見て、もう楽にしてあげないといけないのかなあとぼんやり考えました。
病院から家族に決断を委ねられて、決断を激しく抵抗する母を横に、父は自分で息を引き取ってくれました。

あれから1年経ったのか、としみじみ思ったりするのですが、正直言ってこの1年、悲しみにうちひしがれたことがまったくありません。
薄情なのかもしれませんが、とにかくやらなくてはいけないことが多すぎたから。忙しくて悲しんでるヒマなどなかったから。父はあまりにも全てほったらかして逝き過ぎた。でもある意味それは幸せなことだったかもしれません。

あんまりこのことは人に話したこともないし、話すつもりもなかったのですが、1年経ったのでなんとなくけじめとして書いておこうかなと思いました。
でもやっぱり真面目すぎる話を書くのは苦手なので、気が変わったらそのうち削除するかもしれません。



toka at 07:11│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
昨日の夢日記。何日間かを振り返る その2。