2013年10月
2013年10月30日
2013年10月27日
大人の階段。
先日、小学校時代の同級生のお父さんが亡くなった。
身内だけの密葬だったというので、改めて同級生数人で集まってお線香をあげさせていただいた。
当日の召集だったので、男子5名に女子は私だけ。
それでも学年の人数が16人しかいない(更に既に1人鬼籍)から、まあまあの出席率だと思う。
女性は子供がいると簡単に出てこれないし。
ここでも何度か話しているが、東京なのに地方の分校並に人数が少ない小学校だったので、男子も女子も関係なくみんな仲がよかった。
未だに1〜2年に1回は全員に召集をかけて飲み会を開催しているし、少人数の単位ではしょっちゅう飲みに行ったり旅行に行ったりする。
みんな同じ中学に進む中、私は私立に行ったためみんなと分かれたが、今でも仲良くしてくれる。いい仲間だと思う。
そんな感じなので、会えばすぐに小学生時代に戻ってしまう。
いい年の中年男女なのに、くだらない下ネタ全開でガハハと笑いあえるし、普通大人の付き合いだったら言えないような本音をぶつけてもお互い気にしないし、お医者さんも電車の運転手さんも公務員も、課長も平社員もみんな平等。
この日は、亡くなったお父さんの奥さん、すなわち同級生のお母さんが「賑やかにしてくれた方が喜ぶわ」というので、お父さんのお位牌を囲んで宴会が始まった。
ビールの注ぎ合いをしていると、小学生当時では考えたこともなかった振る舞いをしていて、不思議な気分になる。
会社の経営がどうのこうのとか、部下の話や取引先の接待がどうのこうの、などという話が飛び交うと、「そんなこと言っても、あんた授業中もらしたじゃん」などとつい言いたくなってしまう。
私の目の前にいるのは、毎日一緒にサッカーで遊んだり、机をあわせて給食を食べたあの日の彼らに見えるのに、それぞれが年相応の経験を積んだ立派な大人なんだ。
改めて感慨深く思えた。
小学生当時、私は同級生に下の名前では呼ばれたことはなかった。
クラス内の暗黙のルールだったのだろうか、たぶんお互い名前を呼ぶのにテレもあったのだろう。
男子も女子も、苗字の一部を呼び捨て、もしくは「さん」「ちゃん」をつける呼び方が主流で、私もそのルールに従って呼ばれていた。
卒業してからもずっと、呼び方は変わらなかった。
それなのに。
ビールを注いでもらう時、2人の男子に下の名前で呼ばれた。
初めて名前を呼ばれたのだ。
彼らはごくごく自然に名前を呼んだ。それは私の名前では、とてもポピュラーな呼び方だ。むしろ同じ名前の女性はほぼ100%そう呼ばれているに違いない呼び方だ。そう呼んでもちっともおかしくはない。普通の流れだ。
でも。
名前を呼ばれた時、私は無性に寂しくなった。
なんで私は名前を呼ばれて寂しくなったのだろう。
考えて、わかった。そうか、彼らがなんだか分別ある大人になっちゃったんだなあと思ったからなんだ。
クラス内だけで呼ばれていたその独特な呼び方は、いつまでも小学生時代の私たちを心の中に繋ぎ止めてくれるものと思っていた。
呼ばれることで、一瞬で小学生時代の関係に戻れるものだったはずなんだ。
大人のいろんなしがらみを全て取り去って、子供の時のままでいていい場所がそこにはあったんだ。
別に接し方がよそよそしくなったわけではない。呼び方以外はあの頃のまま、何も変わっていない。
でも彼らの中には、6年間ともに過ごした小学生だった私はもういなくて、ごくふつーに名前を呼ぶ、1人の30代の女性しかいなくなったのだ。
彼らは、彼らの人生を、1人で前を向いて歩いているんだ。子供のままでは、いられないんだ。
宴会の後、バカ話で盛り上がったスーツ姿のサラリーマンは家族が待つ家路へ向かい、運転手は朝早い電車の運転のため終電後の駅へ戻り、お医者さんは明日手術の患者さんへ思いを馳せていた。
未だに分別ができない大人の私は、久しぶりに履いた高いヒールの靴にてこずりながら、しばらく彼らの大きくなった背中を見ていた。
身内だけの密葬だったというので、改めて同級生数人で集まってお線香をあげさせていただいた。
当日の召集だったので、男子5名に女子は私だけ。
それでも学年の人数が16人しかいない(更に既に1人鬼籍)から、まあまあの出席率だと思う。
女性は子供がいると簡単に出てこれないし。
ここでも何度か話しているが、東京なのに地方の分校並に人数が少ない小学校だったので、男子も女子も関係なくみんな仲がよかった。
未だに1〜2年に1回は全員に召集をかけて飲み会を開催しているし、少人数の単位ではしょっちゅう飲みに行ったり旅行に行ったりする。
みんな同じ中学に進む中、私は私立に行ったためみんなと分かれたが、今でも仲良くしてくれる。いい仲間だと思う。
そんな感じなので、会えばすぐに小学生時代に戻ってしまう。
いい年の中年男女なのに、くだらない下ネタ全開でガハハと笑いあえるし、普通大人の付き合いだったら言えないような本音をぶつけてもお互い気にしないし、お医者さんも電車の運転手さんも公務員も、課長も平社員もみんな平等。
この日は、亡くなったお父さんの奥さん、すなわち同級生のお母さんが「賑やかにしてくれた方が喜ぶわ」というので、お父さんのお位牌を囲んで宴会が始まった。
ビールの注ぎ合いをしていると、小学生当時では考えたこともなかった振る舞いをしていて、不思議な気分になる。
会社の経営がどうのこうのとか、部下の話や取引先の接待がどうのこうの、などという話が飛び交うと、「そんなこと言っても、あんた授業中もらしたじゃん」などとつい言いたくなってしまう。
私の目の前にいるのは、毎日一緒にサッカーで遊んだり、机をあわせて給食を食べたあの日の彼らに見えるのに、それぞれが年相応の経験を積んだ立派な大人なんだ。
改めて感慨深く思えた。
小学生当時、私は同級生に下の名前では呼ばれたことはなかった。
クラス内の暗黙のルールだったのだろうか、たぶんお互い名前を呼ぶのにテレもあったのだろう。
男子も女子も、苗字の一部を呼び捨て、もしくは「さん」「ちゃん」をつける呼び方が主流で、私もそのルールに従って呼ばれていた。
卒業してからもずっと、呼び方は変わらなかった。
それなのに。
ビールを注いでもらう時、2人の男子に下の名前で呼ばれた。
初めて名前を呼ばれたのだ。
彼らはごくごく自然に名前を呼んだ。それは私の名前では、とてもポピュラーな呼び方だ。むしろ同じ名前の女性はほぼ100%そう呼ばれているに違いない呼び方だ。そう呼んでもちっともおかしくはない。普通の流れだ。
でも。
名前を呼ばれた時、私は無性に寂しくなった。
なんで私は名前を呼ばれて寂しくなったのだろう。
考えて、わかった。そうか、彼らがなんだか分別ある大人になっちゃったんだなあと思ったからなんだ。
クラス内だけで呼ばれていたその独特な呼び方は、いつまでも小学生時代の私たちを心の中に繋ぎ止めてくれるものと思っていた。
呼ばれることで、一瞬で小学生時代の関係に戻れるものだったはずなんだ。
大人のいろんなしがらみを全て取り去って、子供の時のままでいていい場所がそこにはあったんだ。
別に接し方がよそよそしくなったわけではない。呼び方以外はあの頃のまま、何も変わっていない。
でも彼らの中には、6年間ともに過ごした小学生だった私はもういなくて、ごくふつーに名前を呼ぶ、1人の30代の女性しかいなくなったのだ。
彼らは、彼らの人生を、1人で前を向いて歩いているんだ。子供のままでは、いられないんだ。
宴会の後、バカ話で盛り上がったスーツ姿のサラリーマンは家族が待つ家路へ向かい、運転手は朝早い電車の運転のため終電後の駅へ戻り、お医者さんは明日手術の患者さんへ思いを馳せていた。
未だに分別ができない大人の私は、久しぶりに履いた高いヒールの靴にてこずりながら、しばらく彼らの大きくなった背中を見ていた。
2013年10月15日
台風ですが。
最大級の台風がやってくるというので、会社の皆様は早めにお帰りになった方が多かったですね。
皆様の地域では大丈夫でしょうか。これから接近するというのでお気をつけください。
さて、台風がやってくることなど、海外と仕事していると誰も気にしてくれません。
それどころか、月曜が祝日だったため、今日出社すると海外からの仕事がたんまりでした。
更に1日ずれてるので、どいつもこいつも「急いでやって」というばかり。
おかげでこの時間になっても仕事が終わりません。
中には10分おきに状況を確認してくる人もいるので、
「おめーは10分で何ができるんだよ!!あぁ??てめーがしつこく連絡してくるから、その分作業が遅くなってることにいい加減気付けやゴルァ!!」
と誰もいないオフィスで、相手にわからない日本語でつぶやきながら仕事してます。
皆様の地域では大丈夫でしょうか。これから接近するというのでお気をつけください。
さて、台風がやってくることなど、海外と仕事していると誰も気にしてくれません。
それどころか、月曜が祝日だったため、今日出社すると海外からの仕事がたんまりでした。
更に1日ずれてるので、どいつもこいつも「急いでやって」というばかり。
おかげでこの時間になっても仕事が終わりません。
中には10分おきに状況を確認してくる人もいるので、
「おめーは10分で何ができるんだよ!!あぁ??てめーがしつこく連絡してくるから、その分作業が遅くなってることにいい加減気付けやゴルァ!!」
と誰もいないオフィスで、相手にわからない日本語でつぶやきながら仕事してます。